こんにちわ、しゅんかです!
言葉の由来について、考える機会があったので、たまには真面目にかいてみます(笑)
【縁起とは】
〈縁起〉という言葉はみなさん聞いたことがあると思いますが、
「縁起」とはもともと仏教用語で「因縁生起(いんねんしょうき)」という言葉を省略したものだとご存知の方は少ないのではないでしょうか?
この「因縁生起」の意味は「他との関係が縁となり起こること」だそうです。
「因」とは・・結果(果)を生じさせる内的な直接の原因(内因)
「縁」とは・・外からそれを助ける間接の原因(外縁)
また、この両方を合わせて因とも縁ともいうそうです。
この因と縁が関係しあって、いろんな現象が生起している、簡単に言えば『世の中のことはすべて関係しあっている』という事だそうです。
「縁起」そのものの意味に、良いも悪いもないという事でしょうか。
「縁起」と調べていくうちに、こんな「縁起」にたどり着きました。
【十二縁起】
「十二縁起」・・〈人の心を苦しめる12個の原因〉で、人の一生にも例えられているそうです。
- 人が苦しむのには原因があり、その原因にもまた原因があるということ。
- それらは、すべてつながっている。
解釈はやはり、人それぞれのようですけど、
①『無明』・・何もわからない無知な状態
(無管理状態)
②『行』・・わからない状態だから間違った生き方をしてしまう
(苦のループに陥る)
③『識』・・経験の積み重ねによって認識作用が調整される
(六識=耳・鼻・意識・目・舌・身)
④『名識』・・さらに、認識を強めようとする
(六境=色・香・味・声・触・法)
⑤『六入』・・認識をつかさどる感覚器官が発達する
(六根=眼・耳・鼻・舌・身・意)
⑥『触』・・認識した周囲と接触しようと試みる
(六識・六境・六根の和合。関心)
⑦『受』・・対象との接触の感覚
(苦受、楽受)
⑧『愛』・・感情が芽生える
(好き、嫌いなど=欲求)
⑨『取』・・欲求に執着する
(所有意識と排除意識)
⑩『有』・・(愛)と(憎)による様々な存在
(強い存在感)
⑪『生』・・存在のなかに、自分自身が閉じ込められていると感じる感覚
(どのような存在として自分を意識するかによって変わる)
⑫『老死』・・自己の状態が衰退していく自覚
(若かりし頃と老後の自分自身の比較)
これを、人の一生に例えるなら生まれたばかりの赤ちゃんの状態が①で、だんだん成長するにつれ、周囲の環境を意識するようになると②から⑥が発生します。周囲を意識するようになると、それに執着するようになるので⑦から⑨が発生し、人は執着するので苦のループに陥る。これが⑩から⑫の流れになっているというもの。
図にすると、こんな感じでしょうか。
順番に並んでいて、その通りに作用するわけではないと思いましたので、あえて矢印はつけませんでした。ほんの一例として④→⑤→⑥と作用する人もいれば、⑥→⑤→④と作用していく場合もあり得るんじゃないかと。「十二縁起」と一言でいっても人によっていろんな解釈の記述があり、決まりきったものではなくある意味それぞれの解釈があるように作用もそれぞれであったとしても、不自然ではないなーとおもいました。
【四聖諦】
「十二縁起」に対して真理を4種の方面から考察した「四聖諦」に通じており、
- 『苦諦』・・この現実世界は苦であるという真理
- 『集諦』・・苦の原因は迷妄と執着にあるという真理
- 『滅諦』・・迷妄を離れ、執着を断ち切ることが悟りの境界にいたることであるという真理
- 『道諦』・・悟りの境界にいたる具体的な実践方法は、八正道であるという真理
この4つを知り、行動に移すことで十二縁起から抜け出せるということですが・・
簡単なことではなさそう!!
・・・だから、人は悩み苦しむのでしょうか・・(笑)
「苦しみ」というよりも、人として生まれてきたからには避けては通れない道というか・・・なんというか、奥が深いなぁ・・(笑)
【自分なりの解釈を考えて頭のなかで整理してみる】
自分と向き合う時間がとれるということは、頭の中の整理であったり心の中の整理であったりしてなぜかスッキリしました(笑)これが瞑想というものでしょうか?(笑)
単純な私は、ヨガを始めてみたいなーとか思ったり(笑)
自分と向き合う時間をもつということ、知識、視野をひろげること、読書だったり経験だったり様々かもしれませんが、新しいものに触れるという事は新鮮で発見であり物事を深く考える良い機会でした!
【まとめ】
ほんのささいなことから、調べ始めたことだったけど、殆ど無宗教的な私ですが(笑)意外に関連性が高くて仏教の話にまでたどり着くとはおもいませんでした。
今回の新しい発見だけにとらわれず、視野を広げていつもとは違う視点で物事を考える時間があっても良いものです。
1+1=2のように、答えがはっきりしているものを考えるものでないだけに、『自分の中の意識を集中させて自分なりの答えを探っていく』ということ。
感覚の問題だから、すべての人に当てはまるものでもないとは思いますが私にとっては日常から少しはなれて、いつもはふれる機会の少ないことを少し掘り下げて考えることのできる時間をもつということは、心を穏やかに保つことでもあり、ある意味瞑想の時間であったり意識を高める時間でもありました。
始まりは、「無明」といわれるところからだとしても、直接的な原因とそれを助ける間接的な原因とが作用しあってその関連が縁となり起こること。 まるで、波紋のようです。
『世の中のことはすべて関係しあっている』ということですね。