ペットは、今や家族の一員ですよね。
お迎えした日から、家族のお兄ちゃんだったり、妹分だったり子供だったり。
そんな家族に囲まれた家庭でも、癒される存在なのに、これが一人暮らしの方のペットだったらどんな存在になるでしょう。
・人生に、はりがでる
・家に戻るのが、楽しみになる
・動き回っている音が、シーンとした部屋より落ち着く
・決まった時間に、ご飯や散歩の時間帯が決まっているので、自然と規則正しい生活になる。
・お土産をかってあげたくなるから、たまには旅行にもいきたくなる
などなど、数え上げたらきりがないペット効果なのですが、飼い主が高齢者だった場合、もちろん自分より長生きしてしまうペットを選ぶときは、飼い主が居なくなったとしても預ける先をきちんと決めておく事が前提となりますが、メリットはとてもたくさんあると思います。
・生きがい
・お世話のために動くので、足腰が弱りにくい
・時間でご飯をあげたり散歩をしなくてはいけないので、時間の認識を常に持つことにもつながる
・反応が、毎回違うのでなによりコミュニケーションが楽しい
・期待されることが何より認知症予防につながる
残存機能の維持、空間認識の維持、判断能力の維持など一人でぼーっとテレビとにらめっこをしてるより、生活に華やかさがでると思うのです。
ここに挙げただけではなく、つらい時期にお迎えしてみてお世話に動き回る生活をしているうちに生活に張りが出てきたという方もいらっしゃると思います。
小さい子が、遊びまわっている感覚とでもいうのでしょうか。
目の前に、おもちゃを持ってきては「遊んで!」という視線を投げかけてくるのです。
期待されているのですよね。
それだけで、笑みが出るのではないでしょうか。
一人で暮らしていたら、そんな思いはできませんよね。
癒しって必要で、必要とされることも必要で、人とのコミュニケーションも癒されますがそれとは別格の、無条件の癒しだと思うのです。
身体の健康も大切ですが、高齢者の独居ともなると毎日が単純で規則的過ぎて鬱っぽくなってしまったりしがちです。でも条件が整っていれば、笑いのある生活を送ることができると思うのです。精神の健康は大切です。
一人暮らしでも、そうでなくてもペットの存在は、「君がいてくれたから」乗り越えてきたものがあったり単調な生活から抜け出す素晴らしい存在だったりするのかもしれません。思い出す思い出も沢山増えます。
でも、可愛がって育ててきたペットが亡くなってしまい、ペットロスを経験するかもしれません。その感情だって、一緒に過ごした時間が素晴らしいものだったという思いからくるもので、そのこから、選ばれた飼い主にしかわからない特別な感情だったりするのです。
悲しい思いをするかと思いますが、その感情が、そばにいたものにしかわからない感情なのです。静かな部屋に帰ることになるかもしれないですし、朝起きても「おはよう」という存在がいないかもしれないですし、遊びまわったり寝ている姿もみれなくなります。朝起きて、夢かもしれないと思って現実に引き戻されたり・・・私は、初めてその感情を味わっています。いつか来るものだとは思っていましたが、悲しいです。
今は、振り返って思い出を掘り起こして、相棒の死を受け入れる脳内再生の日々です。
忘れるなんて無理なのです。だって・・
一人暮らしを始めて、ペットをお迎えして部屋にいるのが楽しくなりました。旅行で、お土産を選ぶ楽しみも味わいました。実家に選ぶお土産とは、全然違う感覚で楽しかったし、お土産の反応もたのしみだったり。気に入ってくれて、凄い勢いで遊んでいたりすると、見るだけで笑みがこぼれますし、またお土産を・・という過保護なループ(笑)
帰るなり、「ただいまー!かえりまちたよー!」すりすり・・
「今日は奮発していい餌かってきたよっ!」ドヤ顔・・
「今日は、ずっと家にいる日っ♪」両手広げて受け入れ態勢・・
「わぁー汗 それはやめてぇぇ」どたばた・・
「君はわたしの宝物なのです。」うっとり・・・
ほんとうに、良い思い出ばかりです。
私の場合、ストレートにペットとの生活が「付かず離れず癒され効果」になっていて生活の質が格段にあがりました。下手な栄養剤より、遊んでるところ見ただけで何かが充電される感じ。
一人暮らしの現実問題。次の子は?お迎えする?しない?
人それぞれだとは思いますが、私はきっと又お迎えするでしょう。
今すぐではなく、今味わっている感情がちゃんと整理されて思い出の引き出しに収まったころに、探し始めて「このこだ!」っていうこが見つかった時にでも。
だって、今悲しい思いの張本人が、とっても私の生活に良い影響を与え、導いてくれたと思っているから。ペットは「人生の盲導犬」かな。
まっすぐな愛らしい目で、見つめられるとなんか不思議なことに、前に進もうと思えるのですよね。ホントふしぎ。。。目から、見えないビームがでているのかもしれない。(笑)
きっと、出てると思う。
どこかのお坊様が、「お葬式は、残されたものが納得してけじめをつけるための儀式だ。亡くなった本人は、(もし感情があったならば)豪華なお葬式をしてもそうじゃなくても大差ないと思っているはず。一番大切なのは、たまに思い出してクスクスっと回想でも、お茶の場の話でも、その人の心の中に生きていればいいんだ。」とおっしゃっておりました。その通りです。だから、やれるだけのことは正比例致しますよね。恩返しです。
まだまだ、私のなかにある思い出のファイルがありすぎて、整理しきれていません。まだまだ、時間がかかります。デジタル処理っぽいいいかたしましたが、アナログ処理中なのかもしれません。
あーーー、悲しいです。
ここで、体裁とか建前とかいうレベルじゃなく、素になりたい。
大人だって、そういう時あるのですよ。。。今がその時だと思う。
そのためのブログだと思う。私、大切な宝物を失ったけど、悲しいのだけど、それだけじゃなかったっていうのを残しておきたい。
分かっていても、後悔しない生活なんて完璧にできるわけもないのに、突然だったら猶更なわけで・・・
木をみても泣けます。
空を見てもなけます。
運転をしていても泣けます。
火葬場でなんか、係の方がお迎えに来てくれただけで号泣。
嗚咽なんて・・子供のころ以来かもしれない。。。我慢すればするほど出てしまいます。
部屋の中なんて、もう・・
でも、今日遊ぶスペースのおもちゃを片付けました。居ないという現実を受け入れられないからかな。見るのがつらい。
でもでも、夜寝るためのスペースは片づけられません。相棒の一番の場所を撤去するのは忍びない。
お水も、交換してしまいます。
ご飯も、おやつも・・
分かってるけど、私が納得できるまでやる。
泣きたい時なく。
一人暮らしだから、独り言だけど骨壺に話しかける。
まだ、失って3日目だから・・・大々的に迷走中。でも、出口は必ず見つかるとおもってる。というか、見つけなければ。相棒からもらった、幸せを無駄にしたくない。
そんな急に、長い間してきたこと、ハイ終了!なんてできないじぶんがいる。
結構、あっさりした性格だと自分で思っていたけど、相棒の目から出ていたビームの効能として、脳内に刻み込まれる中毒性というものを実感しているのかな。効果は薄れるものではないようなきがする。質をかえてとどまるものなのかな。発酵?(笑)これも、時間をかけて、良いほうに発酵できたら、次の「人生の盲導犬」なる新相棒のために使わせていただこうかしら。いつか、いつかね。合言葉は、目からビーム!
形をなくした相棒は、私が家以外にいるときも形を変えて傍にいると思う事にしている。だから、木や空を見ただけでも泣けてくるんだと思う。今、こうしているのは相棒が、「私」を育ててくれたから。
「君は私の宝物」口癖のように、言ってきたけど言い足りないくらい、でもちゃんと伝えることが出来てよかった。